巨人軍「闇」の真相/西﨑伸彦/文藝春秋
「来季の巨人軍に、清原君の居場所はない」ある人は、僕にそう言った。ある人であって、球団の人ではない。それが、読売巨人軍という球団の妙なところだ。
堀内政権下で辛酸を舐めた二年は、清原に巨人軍に対する憎悪の感情を刻み込んだ。清原はこれ以降、「球界に三人だけ許せない奴がいる」と公言して憚らなかった。
清原にとっては家族との距離感もまた微妙で、愛情表現も不器用そのものだった。野球を始めた小学生の息子と一緒にキャッチボールをしたい気持ちはあっても、どうしていいか分からない。事務所を通じて、キャッチボールのためだけに平日の朝八時半から神宮球場を借り切ってもらった事もあったという。
二十代前半の桑田は、次第に社長との関係を深め、事務所にも度々顔を出すようになった。社長の威を借り、生意気な口を効く当時の桑田評は、のちに”投げる不動産王”と呼ばれた金の亡者のイメージとも重なる。メジャー挑戦を果たしたストイックな姿勢や、近年のメディア出演で見せる温厚で理性的な現在の桑田像からは想像もできないが、これが”若気の至り”というものかもしれない。
巨人軍がホーム球場としている東京ドームには、かつて「魔物」が棲んでいた。