私の財産告白/本多 静六/ 実業之日本社

そこで断然決意して実行に移ったのが、本多式「四分の一天引き貯金法」である。苦しい苦しいで普通の生活をつづけて、それでもいくらか残ったら……と望みをかけていては、金輪際余裕の出てこようはずはない。貧乏脱出にそんな手温いことではとうてい駄目である。いくらでもいい、収入があったとき、容赦なくまずその四分の一を天引きにして貯金してしまう。そうして、その余の四分の三で、いっそう苦しい生活を覚悟の上で押し通すことである。これにはもちろん、大いなる決心と勇気が必要である。しかも、それをあえて私は実行したのである。
 
人間の一生をみるに、だれでも早いか晩いか、一度は必ず貧乏を体験すべきものである。つまり物によって心を苦しまされるのである。これは私どもの長年の経験から生まれた結論である。子供のとき、若い頃に贅沢に育った人は必ず貧乏する。その反対に、早く貧乏を体験した人は必ずあとがよくなる。つまり人間は一生のうちに、早かれ、おそかれ、一度は貧乏生活を通り越さねばならぬのである。だから、どうせ一度は通る貧乏なら、できるだけ一日でも早くこれを通り越すようにしたい。ハシカと同じようなもので、早く子供のときに貧乏を通り越させてやったほうが、どれだけ本人のためになるかわからぬ。
 
それは断じて「投機」ではない。「思惑」ではいかん。あくまでも堅実な「投資」でなければならぬのだ。
 
そうして、それが引き取り期限のくる前に思いがけぬ値上りがあった場合は、買値の二割益というところで、キッパリ利食い転売してしまった。それ以上は決して欲を出さない。
 
好景気時代には勤倹貯蓄を、不景気時代には思い切った投資を、時機を逸せず巧みに繰り返すよう私はおすすめする。
 
後年、海外留学から帰ってきて、さっそくこの宿願の「天丼二杯」を試みた。ところが、とても食い尽くせもしなかったし、またそれほどにウマクもなかった。この現実暴露の悲哀はなんについても同じことがいえる。
 
貧すれば鈍するが、鈍すればさらにまた貧する。
 
由来、賞讃は春の雨のごとく、叱責は秋の霜のごとしである。

 

かつて私は、総理大臣だった桂太郎対象からこんな話を聞いたことがある。いまに至るも、生きた人間処世訓として、その感銘はなかなかに深いものがある。大将曰く、
「自分は陸軍に身を投じて、常に次から次へと勉強の先回りをやってきた。大尉に任ぜられたときは、少佐に昇進する年限を三年と考え、その初めの半分の一年半に、大尉としての仕事を充分に勉強しつくした。そうしてのちの一年半に、少佐に昇進したときに必要な事柄について一所懸命勉強した。だから、予定の年限がきて少佐になると、大尉時代に早くも準備を積んでおいたために少佐の任務は安々と勤まって、他の者にくらべて綽々たる余裕を残した。
 
私の財産告白 (実業之日本社文庫)